2012年6月9日更新

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呉翼輝 1887 - 1958

  呉翼輝は六合八法拳を公に広めた最初の人物である。内家拳の技術に深く精通していた呉翼輝は、多くの武術家や達人達の間でも評判であった。そして内家拳の歴史に多大なる影響を与えた人物でもあった。呉の名声は高く、歴史上有名な《南京国術館》の教練の地位にも就き、創設者である張之江にも指導した。

  呉は、後に優れた格闘家・師となっていった多くの生徒を持ち、その中では唯一、陳亦人が呉の教授した華嶽希夷門(六合八法拳の門派)の全伝を継承したのである。
 

陳亦人 1909 - 1982

  陳亦人は《南京国術館》において様々な内家拳の達人に就き、多くの門派を修行した。太極拳・形意拳・八卦掌・大成拳(意拳)を習得し、その才能を呉翼輝に認められ、華嶽希夷門六合八法拳の全伝を伝授された。陳のみが六合八法拳の門派を完成することができたと考えられている。中国国内では教授していないものの、香港とシンガポールで道場を創立した。現在の六合八法拳の技術のほとんどは陳からのものである。

  陳には多くの生徒がいたが、華嶽希夷門伝人として認められた弟子の数は六名のみであり、更にその中の三名が武術教師となった。
 

莫其輝

  莫其輝は、華嶽希夷門継承者陳亦人に拝師(正式な弟子入り)した。彼は正式弟子六名の内の一人である。陳について十年以上修業し、弟子達の中では、陳と一番長い時間を過ごした。彼は六合八法拳の全伝のみならず、形意拳と八卦掌をも教授された。陳との関係は親子のように親しく、陳から教子(きょうし=弟子)になるよう頼まれた。

  莫其輝は内家拳の技巧の細部に渡り、厳格に研究した。彼は知識もあり純粋な系統であるにも拘らず、それを公に知られるのを好しとせず、ただ自己の功夫だけを追求した。故に継承者として選ばれたのである。現在、莫其輝は教練から退いてはいるが、今でも自分の弟子を育てている。
 

羅君博

  羅君博の武術歴は変化の多い拳法で、内家拳については太極拳、八卦掌、形意拳と大成拳を細かくで勉強した。彼の人生はほとんど本物の六合八法拳に探すことに熱中してそれ以外のものを全て犠牲にした。六合八法拳は陳亦人の有名の生徒と弟子から、他の流派も、勉強したが、有名な先生や強い系譜の目的ではなかった。馬章英、その時全く知られてない人に会ってその長い旅が終了した。馬は羅君博の他の先生からの質問を全て答え、他のスタイルからのグレーゾーンをはっきりさせた。武術の先生じゃなかったのに馬章英から華嶽希夷門に入門して六合八法拳の直伝をされました。2007年、羅君博は馬章英師父と莫其輝師爺について修業が終了して、国際六合八法内家拳術会の管理者に任命されて、日本に六合八法拳の教えることに許可を得た。

 

市橋秀実

  大学生時代から八極拳を学習し始め、朝晩時間があれば練習に明け暮れる。その甲斐あってか、功夫に必要な身体の基礎が練り上げられた。社会人になってからも練功は続けられたが、職業的理由で武術修行を一時断念する。

  その後、やはり中国武術が忘れられず、職種を変えてまで再開を決意。再開後最初の拳種である咏春白鶴派「食鶴拳・鳴鶴拳」では、上肢の功夫が特に鍛えられる。八極拳で下盤の功夫を、白鶴拳で上盤の功夫を鍛錬し、残る内功というものに注目をして、同時に内家三拳も並行して学ぶがどれも縁遠く、一門派を専門的に学ぶ機会を探している時に、朋友の紹介で華嶽希夷門の伝承者と出会う。彼の伝では、「何故これが必要か?」ということが明確化され、曖昧な部分が無い。自分の求めていた理想の学習システムと出会い、内家拳の理を習得すべく この門派に身を任せることにした。

  陳亦人より伝わる正統な華嶽希夷門の伝承者である、莫其輝・馬章英・羅君博、三代の伝人から指導を受け認められ、初の日本人拝師弟子となる。日本六合八法内家拳術会の代表として現在、精力的に指導にあたっている。

 

 

 

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